私の英語に対する認識
間になりますが、私の子供の頃の英語の触れ合い方と今になって考えることを少し。
私の母は、英語を教えています。
未就学児から高校生まで幅広く。
家で教室をしたり、外の英語教室の先生をしたり。
今は個別指導の塾で教えています。
60過ぎていますが(自称)人気講師らしいです。
その影響で、幼少期の私の周りには常に英語があふれていました。
家の裏にはアメリカ人が住んでいてよく会っていたし、短期のホームステイで外国の学生さんがいたこともありました。
母もよく日常生活で英語で話しかけてくるし、英語教材もいろいろ触れていました。
なので、小学生くらいまでは英語もなんとなく聞けたし、書けたし、嫌いではなかったのです。
英検も小学生のうちに三級まで、中学でなんとか準二級まで取ったし。
でも、たぶん国語も苦手だったので文章というものが苦手なんだと思いますが、英語も長文を読んで答える、というのがとても苦手でした。
なので、中学から徐々に苦手になっていき、高校は壊滅的に英語は成績取れなくなりました。
それでもう、英語は嫌になったのです。
大学で卒論や卒後も研究やったりの時に、どうしても英語論文を読まなければならなくて、なんとか英語はやったけど、話せない、聞けない、読めない…と思っていました。
でも、数回しかないけど外国に行って、ホテルの人やお店の人とは一応英語で話せるんですよね。
そういうのはだいたい簡単なやりとりしかないから。
それくらいなら幼少期にやってたのを思い出すくらいでできるのです。
よくよく考えてみると、私は英語は感覚で聞いたり答えたりしていました。
幼少期はちゃんと日本語に訳さないで吸収してたのです。
DWEで提唱されてる母国語方式ですね。
だから、テストとかで完璧に和訳するのが苦手で苦手で…。
日本語考えながら話すとたどたどしくなっちゃうんです。
でも感覚で、というか英語でパッと考えて話すとスラスラっと出てくる。
なので、最近次女には日常生活で使うような言葉は英語で話しかけているのですが、その辺ならいちいち調べ直さなくてもパッと出てくるんです。
そうしてみたら、あれ?私意外と英語話せるのでは?と思ったのです。
そして、これが幼少期のインプットなのかぁ、と。
私の母の英語の語りかけが無駄ではなかったのがここで証明されたようです。
長い文章や、難しい構文になると出てこないのは、その辺の幼少期のインプットが少なかったからなのかもなと思います。
私の30年と数年を考えても、こんなに英語使わず生きてきても、一応出てくる英語、これは確実に幼少期の学習の賜物だ!と。
DWEが言う、0歳から2000時間インプット、はやはり大事だな!と思い、だんだんこれ欲しいなーと思うようになったのです。
アドバイザーさんに会う話に続く。